妊娠・出産・育児を応援する総合情報サイト「BABYPARA」のSTAFFのNOAの日記です。
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【2008/09/08 04:09】
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急いで大阪に住んでいる兄に連絡をして急いで帰ってくるようにいました。 あまりの突然のことに兄に伝えるのを忘れていました。
ICUの母は昨日までの元気な母とは違い、輸血をし沢山の管につながれていました。 父は何度も何度も
「愛してる!愛してる!おまえと結婚できて幸せだった!」 と言って泣いていました。
私と妹も何度も何度も
「お母さん大好き!お母さんの子供で幸せだった!」 と伝えました。
もう意識がない母なのに私たちが伝えている言葉に反応しているかのように血圧が上がったり下がったりしていました。 幼い娘も母に沢山可愛がってくれたことを感謝するかのように母の手を何度も何度もなでていました。
一度、危ないながらも容態が少し安定しているのでと言うことで主人が娘を連れて外の空気を吸いに言って数分後・・・
医師に 「胃潰瘍による出血性ショックのため多臓器不全の状態です。残念ですが・・・・」
と言われました。 父は気丈にも
「わかりました、有り難うございました。楽にしてやってください。」
と頭を下げました。そして医師の手で輸血を止めました。母は肩で大きく3回息を吸い、娘を溺愛していた母らしく娘の誕生日に亡くなるのは可愛そうと思ったのでしょうか・・娘の誕生日の翌日まで頑張ってくれ、静かに56歳で逝きました。
外の空気を吸いに行った主人と娘に伝えなければと廊下に出ると、ちょうど娘を抱っこした主人と会いました。母が今逝ったよ。と伝えて泣き崩れました。 その時に記憶は今でもはっきり覚えていません。所々記憶がないんです。後から主人から聞いた話によるとちょうど母が亡くなった時間ぐらいに娘が急に「七つの子」を歌い出したらしいんです。「七つの子」は母が生前、娘によく歌っていた歌です。
母が亡くなってからは怒濤のごとく日々が過ぎました。お通夜・お葬式等々。 母の希望通り「家族葬」で見送りました。
母が亡くなってからすぐにニュースで殺人事件などを見ると「なんでこんな人を殺めてしまう酷い奴がのうのうと生きていて母が亡くなったんだろう・・・神様は不公平だ!」と思っていました。毎日毎日、もちろん今もですが「親孝行してないのに・・・」「あの時気づいてあげれれば」と後悔しています。 「親孝行したいときに親はナシ」と言いますが身にしみて感じます。 ある人の曲に「何でもないようなことが幸せだったと思う」とありましたが、本当にそう感じます。けんかしたり、怒られたり、母の手料理を食べたり、普段の何気ない一つ一つが幸せだったなと感じます。
母が亡くなって5月で5年になります。今母に思うことは、 やっぱりお母さんは世界で1番のお母さんでした!ってことかな。
長々と書いてしまいましたが読んでくださった方有り難うございました。私が出来なかった親孝行・・・沢山してくださいね。後悔しないように・・・
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【2008/02/11 07:31】
母のこと |
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