妊娠・出産・育児を応援する総合情報サイト「BABYPARA」のSTAFFのNOAの日記です。


嘔吐下痢(T_T)
生後1ヶ月で「細気管支炎」で2週間ほど入院した長男。
去年は予防接種も受けていたのにインフルエンザでダウンした長男。
今年は何にもないから安心したよ〜なんて父と話していた矢先、昨日ついに「嘔吐下痢症」にかかってしまいました

明けて一昨日の朝に何度も吐きはじめてその後下痢もし始めたので「もしや」と思い病院が開いてすぐに連れて行ったところ「嘔吐下痢症」の診断を受けました
とりあえず点滴をしてもらい帰宅。
夜になると39度を超える発熱。唇も紫になるし・・・寝ずの看病に突入しました。
朝になって嘔吐はなくなったものの熱は38度を超えていたので、念のためもう一度受診しました

いつもうるさいくらい元気な長男がグッタリして、ここ2日で痩せてしまっている姿を見ると涙が出ちゃうんですよね・・・
弱々しく「マァ(ママ)〜コッコ(氷)」とか言われちゃうとウルウル

今晩も30分おきに泣くので寝ずの看病になりそうです・・・。でも長男が元気になってもらいたいので頑張らねば!早く元気になぁ〜れ
【2008/02/28 03:02】 育児 | トラックバック(-) | コメント(0) |
アンパンマンミュージアム(^o^)
最近、長男がアンパンマンにはまっているので桜木町にあるアンパンマンミュージアムに土曜日に行ってきました

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以前にも行ったことがあるのですが、その時はそんなに興味が無かったみたいでしたが、今回は凄かった
家から結構近い場所にあるのですが、車に乗る前から

「パンマンパンマン

車の窓からアンパンマンの看板が見えると

「パンマンパンマン

と絶叫

子供に大人気のアンパンマンだけあって結構混んでいました。
パン屋さんは相変わらず長蛇の列なので今回はパスしました・・・整理券をもらって時間つぶして並んで・・・は今回のように風が強くて寒い日は無理と子供達を納得させつつ施設内へ・・・
本当アンパンマン一色どこのお子ちゃまも大喜びしておりました

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凄く喜んでいたので、もう少し暖かくなったら、また連れて行こうかな
【2008/02/26 00:17】 育児 | トラックバック(-) | コメント(0) |
手作りチョコ(^-^)
昨日は長女の幼稚園からのお友達も一緒に我が家でチョコを作りました
去年よりも上手に作れました記念に写真を写そうとしたら拒否されてしまいました・・・

なんと数にして100個・・・お友達は20人分。長女は30人分。
小さなカップをテーブル一面に広げて、湯せんしたチョコを流し込むだけなのですがあっちこっちにこぼしてキッチンはチョコ臭い、チョコ臭い
小学生になったことだし、去年より難しいのに挑戦しようと1種類はストロベリーチョコと普通のチョコの二層式、もう1種類はナッツを刻んで入れたチョコにしてみました

来年はどんなチョコに挑戦しようか今から楽しみ
【2008/02/13 09:12】 育児 | トラックバック(-) | コメント(0) |
母のこと7
急いで大阪に住んでいる兄に連絡をして急いで帰ってくるようにいました。
あまりの突然のことに兄に伝えるのを忘れていました。

ICUの母は昨日までの元気な母とは違い、輸血をし沢山の管につながれていました。
父は何度も何度も

「愛してる!愛してる!おまえと結婚できて幸せだった!」
と言って泣いていました。

私と妹も何度も何度も

「お母さん大好き!お母さんの子供で幸せだった!」
と伝えました。

もう意識がない母なのに私たちが伝えている言葉に反応しているかのように血圧が上がったり下がったりしていました。
幼い娘も母に沢山可愛がってくれたことを感謝するかのように母の手を何度も何度もなでていました。

一度、危ないながらも容態が少し安定しているのでと言うことで主人が娘を連れて外の空気を吸いに言って数分後・・・

医師に
「胃潰瘍による出血性ショックのため多臓器不全の状態です。残念ですが・・・・」

と言われました。
父は気丈にも

「わかりました、有り難うございました。楽にしてやってください。」

と頭を下げました。そして医師の手で輸血を止めました。母は肩で大きく3回息を吸い、娘を溺愛していた母らしく娘の誕生日に亡くなるのは可愛そうと思ったのでしょうか・・娘の誕生日の翌日まで頑張ってくれ、静かに56歳で逝きました。

外の空気を吸いに行った主人と娘に伝えなければと廊下に出ると、ちょうど娘を抱っこした主人と会いました。母が今逝ったよ。と伝えて泣き崩れました。
その時に記憶は今でもはっきり覚えていません。所々記憶がないんです。後から主人から聞いた話によるとちょうど母が亡くなった時間ぐらいに娘が急に「七つの子」を歌い出したらしいんです。「七つの子」は母が生前、娘によく歌っていた歌です。

母が亡くなってからは怒濤のごとく日々が過ぎました。お通夜・お葬式等々。
母の希望通り「家族葬」で見送りました。

母が亡くなってからすぐにニュースで殺人事件などを見ると「なんでこんな人を殺めてしまう酷い奴がのうのうと生きていて母が亡くなったんだろう・・・神様は不公平だ!」と思っていました。毎日毎日、もちろん今もですが「親孝行してないのに・・・」「あの時気づいてあげれれば」と後悔しています。
「親孝行したいときに親はナシ」と言いますが身にしみて感じます。
ある人の曲に「何でもないようなことが幸せだったと思う」とありましたが、本当にそう感じます。けんかしたり、怒られたり、母の手料理を食べたり、普段の何気ない一つ一つが幸せだったなと感じます。

母が亡くなって5月で5年になります。今母に思うことは、
やっぱりお母さんは世界で1番のお母さんでした!ってことかな。

長々と書いてしまいましたが読んでくださった方有り難うございました。私が出来なかった親孝行・・・沢山してくださいね。後悔しないように・・・
【2008/02/11 07:31】 母のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
母のこと6
そして帰り際に普段泣かずにバイバイできる娘が「ばば〜ばば〜」と泣き出しました。
その時母が

「泣かないの。ばばもうすぐおうちへ帰るから良い子にしてるんだよ。」
と笑顔で言いました。
元気な母と話せたのはこれが最後でした・・・。

家に着きご飯の準備をしているときに病院から電話があり、

「容態が急変しました!すぐに来てください!」と電話がありましました。

取る物もとらず急いで母の病院へ行き、母の治療をしている治療室の前へ行くと医師達の

「○○さん頑張って!」の声が・・・

急いで主人に連絡をし来てもらい母の処置が終わるのをひたすら待ちました。
その間、幼い娘ははしゃぎだしたのであやしに外へ出ようとしたときに担当医師ではない助手の医師に会い

「何とか母を助けてください!今母が亡くなったらこの子は(娘)可愛がってくれている母のことを忘れてしまいます。何とか母を助けてください!」

と頭を下げました。その答えが

「まだ、キャベツが早かったかな・・・」

とうすら笑顔を浮かべ言いました。その時は必死だったので何も思いませんでしたが、母が亡くなった後にこの医師の言葉を思い出し体中の血液が逆流する思いがしました。
人間として許せない。人の命をなんだと思っている!と感じるんです。彼にとって数多くの患者の1人かもしれない・・・だけど私たち家族にとって母は大事な大事な人だったんだ!その大事な母が生きるか死ぬかの時にうすら笑顔で言うなんて・・・
今でも許せない事です。

数時間後、母の処置が終わり医師から

「大変厳しい状態です。出来るだけの事はしましたのでICUに移って様子を見ましょう」

と言われました。母がICUに移るとき朦朧としている母に

「頑張って!お願い!頑張って!」

と言うと母が

「もう駄目・・・」

とつぶやきました。

ICUに母が移り、一端帰宅し「母は大丈夫!明日になれば元気になっている」と信じて少し仮眠をとることに・・・
朝再び病院から「急いできてください!」電話がありました。
何故か私は「行きたくない!」と思ったのを覚えています。母の死を受け入れたくない!何かの間違いだ!と思ったからでした。

病院へ着くとすぐに医師の話がありました。

「お昼まで持たないと思われます。出血が止まらないため輸血で生命の維持をしている状態です。」
体中の血液が逆流する様な感じ。ってこんな感じなんだと思うほどでした。
嘘でしょ!昨日まで元気だったじゃん!何で何で?と言う言葉が頭の中でグルグル。

「何か他の治療法はないのでしょうか?何とかならないでしょうか?」

と質問する父に

「今の状態では手術にも耐えられない状況です。我々にも何でこうなってしまったかわからないんです。他に治療法の希望とかありますか?」

と言われました。

ICUへ行き、術後の時のように娘がいるので交代で入室しようとしていると医師から
「娘さんも一緒で構いませんよ。」と言われました。この時、本当に覚悟しなければならないと感じたことを覚えています。
【2008/02/11 06:23】 母のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
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